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そもそも、昔を振り返ってみると...

会の説明をする前に、まず私(創立人)の昔話からさせてください。

小中学生のころ

小中学生のころというものは、よっぽどの勉強嫌いでないかぎり、 だれしも「得意な科目」「好きな科目」の一つや二つくらいはあるものです。

私の場合、それは「算数・数学」でした。幾何の証明問題などには、 模範回答とは違う「別解」というものが存在するのが世の常ですが、 私は特に、別解を見つけてはみんなの前で発表する、 というのが特に好きでした。 周りのみんながまだ習っていない知識を使って解いて見せたり、逆に、 模範回答では x とか y とかいう文字を使って計算で解くことになっている問題を初等幾何の方法で解いて見せたり、 ということをしては、ひとり悦に浸っておりました。 もちろん、中学 2 年で習う(いまは 3 年生に繰り上がったのかな?) 連立一次方程式の解き方くらいは、 小学校 5 年生のときにすでに知っていました。

情報オリンピックに挑戦

さて、時は下って中 3 の冬。たまたま自分の通っていた学校数学オリンピックの予選会場だったということもあって、 自分たちもこれを受けてみようということになりました。

そこで、お世話になっていた数学の先生に相談してみたところ、「今年からこういうのができたよ」ということで、 日本情報オリンピック(活動休止中、サーバー停止中、The Internet Wayback Machine による記録を参照) というものを紹介されました。

この情報オリンピックですが、 大学で情報工学系の分野に足を突っ込んでいるかたならば、ACM-ICPC 国際学生プログラミングコンテストの高校生版・個人戦と考えていただければ、 だいたいの概要はつかめると思います。

情報オリンピックと数学オリンピックは共通開催で日程も同一 (したがって併願はできない)、しかし、 数学オリンピックではうまくいっても 1 次予選突破が関の山、 ここはひとつ、海のものとも山のものともつかないこちらにかけてみるか、 初回だからそんなに参加者も多くないだろうし…ということで、 こちらを受けてみたら、 なんと 3 年連続で最終選考合宿まで残ってしまいました (残念ながら最終選考で落とされて、国際大会には行けませんでしたが)。

コンピュータを他人に教えるようになって

さてさて、数学オリンピック・情報オリンピックで知り合った人のほとんどがここに進学しているからという理由がメインで進路に選んだ東京大学 気がつくと私は計算機センターにまいにち入り浸り、そこで相談員という仕事をするようになっていました。

そこで目にしたのが、ちょっとした便利なことを知らずに、 授業で先生に教えられたままのことをして苦労している、 学生さんたちの姿でした。

そこで私は勢力を注いで「ちょっとした便利なこと」 を相談人に教えるように努めました。 また、自ら情報発信をする活動もはじめました。その成果が、 メエルマガヂン Emacs をわたし色に染めて♪であり、KHK 運動であり、さらには Delmontas Tagebuecher に書き連ねている駄文や、相談員のサイトに残っている私名義の文章であります。

また、計算機センターのシステムに対しても、 多機能印刷ソフトウェア FinePrint 2000 の導入を進言するなど、 精力的に活動してきました。

そして、社会人になって

そして 2001 年春、 私は社会人となりました。ということは相談員は当然引退するわけで、 相談員のサイトの管理も後輩に引き継いでもらいました。

が、社会人になって会社に入っても、コンピュータに関して 「どうすれば便利になるのかなあ」と調べ物をすることは依然としてありますし、他人がコンピュータを使うのを見ていて 「こうすればもっと手早く作業できるのになあ」と感じることは、 以前よりもさらに多くなりました。

そこで、引き続き情報発信をするための舞台装置として、 電脳外道学会を設立することとなりました。


© DENNOU GEDOU GAKKAI, N. D. D. 2003/01/23 14:25 JST

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